ケニー・バレル(Kenny Burrell, 1931年7月31日 – )はアメリカ合衆国ミシガン州デトロイト市出身のジャズギター奏者。
Kenny Burrell / ケニー・バレルのビデオ
・Why Was I Born ? – Kenny Burrell & John Coltrane
・Kenny Burrell Quintet – Autumn Leaves
・Kenny Burrell “Midnight Blue”
Kenny Burrell / ケニー・バレルの代表的なアルバム
・A Night at the Vanguard (1959)
・Midnight Blue / ミッドナイト・ブルー(1967)
Kenny Burrell / ケニー・バレルの生い立ちと活動
1931 年7 月31 日米国ミシガン州デトロイト生まれ。本名はKenneth Earl Burrell。父親はバンジョー、マンドリンとウクレレを演奏し、母親は歌手でピアニスト、2 人の兄もギターを弾く音楽一家で育ち、12 歳の時にギターを弾き始める。当時のアイドルは、チャーリー・クリスチャン、ジャンゴ・ラインハルト、ウェス・モンゴメリーだった。ウェイン大学で音楽を学んだ後も地元デトロイトで活動を続け、大学在学中の51 年にディジー・ガレスピー・セクステットのメンバーとして初レコーディングを果たす。大学卒業後の55 年に、ハーブ・エリスの代役としてオスカー・ピーターソン3 に参加しツアーに出る。
56 年にニューヨークに進出し、同年5 月にブルーノートより初リーダー・アルバム『イントロデューシング・ケニー・バレル』をリリース。その後、ベニー・グッドマンのグループ等を経て、59 年に自己のコンボでニュー・ポート・ジャズ祭に出演。そのブルージーなギター・プレイで人気を呼び、多くのセッションでひっぱりだことなり、ジミー・スミス、ジョン・コルトレーン、ギル・エヴァンスをはじめ、数多くのミュージシャンと共演。ピアニストのトミー・フラナガンは同じデトロイト出身の幼馴染であり、数多くの共演を残している。
50 年代にはブルーノート、60 年代にはヴァーヴを中心にレコーディング活動を行い、独自のスタイルを確立。70 年代初頭にはニューヨークでジャズ・クラブ「ギター」を経営。その後、ロサンゼルスに移りUCLA で音楽やデューク・エリントンについて教鞭をとる等、ウエスト・コーストを中心に活動。自己のグループを中心にライヴ活動やレコーディングを続け、80 歳を迎えた現在もそのブルース・フィーリングたっぷりのギターは健在。UCLA では音楽と民族音楽学の教授を務めており、クールでニヒルでジェントルな佇まいは今も変わらない。
歌も上手く、「Weaver Of Dreams」などのアルバムで自分で歌っている。