アル・ディ・メオラ(Al Di Meola、1954年7月22日-)はアメリカのジャズ・フュージョンギタリストである。
Al Di Meola / アル・ディ・メオラの生い立ちと活動
ニュージャージー州・ジャージーシティ生まれ。ベンチャーズやビートルズに刺激を受け、ギターを始める。1971年にマサチューセッツ州・ボストンにあるバークリー音楽大学に入学。1974年にチック・コリア率いる「リターン・トゥ・フォーエヴァー」(RETURN TO FOREVER)に参加し、1976年の解散まで在籍。ギタープレイヤーマガジン誌の読者投票で四回も「最も優れたジャズギタリスト」に選ばれている。
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彼は多作なソロの経歴に加えて、ベーシストであるスタンリー・クラーク、バイオリニストであるジャン=リュック・ポンティ、ギタリストであるジョン・マクラフリン、パコ・デ・ルシア等との豪華なコラボレーションをおこなってきた。
ディ・メオラは初期作品の頃から卓越した演奏技術、速弾き、複雑なギターソロ・作曲により注目を集めていたが、その頃からすでに地中海文化やフラメンコなどにみられるアコースティックなジャンルを探求し始めていた。その好例がアルバムElegant Gypsy(1976年)に収録された”Mediterranean Sundance”と”Lady of Rome, Sister of Brazil”といった曲である。初期のアルバムは他のロックギタリストにもジャズギタリストにも同様に大きな影響を与えた。ディ・メオラはCasino やSplendido Hotel といったアルバムにおいてジャズフュージョンのジャンル内からラテン音楽の方向性を探究し続けた。アルバムCasinoの”Señor Mouse”と”Fantasia Suite for Two Guitars”や、ライブ・アルバムであるFriday Night in San Francisco のようなアコースティックナンバーにおいてはさらに繊細なタッチを披露した。
1983年のアルバムScenarioで、彼は(マイアミ・バイスのテーマ曲で知られる)ヤン・ハマーとのコラボレーションでジャズのエレクトリック的な可能性を模索し始めた。この模索の延長線上として、アコースティック的なアルバムであるCielo E Terraでさらに音楽的地平を拡げた。さらに彼はSoaring Through a Dream のようなアルバムでギターシンセサイザーを採用し始めた。また、1990年代よりワールドミュージックを焦点にしたワールド・シンフォニアをスタート、オーケストラ・タンゴに近いアルバムを録音していた。
彼はバージニア州のバーチメア音楽ホールといった小さなホールで演奏したりしてツアーを続けてきた。最近のコンサートは彼の新しいマテリアル(「歪んだアコースティック」音や初期のソロ作品の曲よりもずっと自由度の高い音が出せるギターシンセサイザー音のごった煮風の融合)のサンプルが含まれている。彼はしばしば自分の最も魅力的な作品の一つを力強く演奏してコンサートを締めくくる(例えばアルバムElegant Gypsyの”Race With Devil On Spanish Highway”という曲)。彼はこのようにして優れた演奏技術を披露するとともに自分でも知らず知らすのうちに考え付いた不思議でメロディアスな旋律を激しい曲の流れと融合しているのである。